自己対話セミナー第1日レポートっぽいもの#1
週刊プレイボーイのグラドルへのインタビュー記事に高い確率で出てくる
「あはは。」
にいらっとします。
みなさんこんにちは。
本土は寒波とか豪雪とかで大変そうですが
沖縄は何か拍子抜けするくらい
暖かい、というか寒くはない季節が続いております。
個人的には非常に過ごしやすい。
あぁ、これも日々の行いの良さなのだろうなぁ。
さて。
早いもので2017年も一か月終わっちゃいました。
その間僕が何してたかと言いますと、
超顔出しOKです|д゚)
國定さんの自己対話セミナー
4時間×4日間の
超ガチ講座を受講中でございます。
現在1/31時点で
もう二日目を終了しているのですが、
前のセッションの時↓みたいに
さくっとまとめるつもりだったのですよ。
でもね、
濃すぎた。
もうね、
次郎ラーメンで「野菜ナシ背油ニンニクマシマシ」ってゆーくらい
濃すぎてめっちゃ胸焼け起こしてました。
(次郎でそんな注文ができるのかわかりませんが、てゆうか行ったことありませんが)
でも時間が経って来て
ちょっとづつ落ち着いてきたので
小出しになると思うけど
まとめていくぜー(`・ω・´)
まず《今》について。
とりあえず自己対話の最初のとっかかりはここ。
《》の中に入れてる言葉は
独自の意味ですよ、ってことね。
《今》ってのは、確認できるもの。
確認、って言葉は
「確実に 認められる」
ってゆう意味だよね。
だから《今》ってのは
「確実に、そこにあると認められるもの」
なんです。
國定さんの言葉を借りれば
「深呼吸した時の、鼻を通る空気の冷たさ」
はい、では皆さん、深呼吸してみましょー。
はい目を閉じてー…………
吸ってー………………
吐いて―………………
すー………………
はー…………………
ブログで目ェ閉じたら読めねーけどな。
素直に目を閉じた人に幸せが訪れますように。
それはさておき。
皆さん体感していただけたでしょうか。
言葉では言い表せない、ただそこにある、という感覚。
僕は高校~大学くらいの頃
自己催眠とか座禅とかにはまっていたことがありまして
だからこの感覚は割とすんなり受け入れられました。
センター試験当日の朝に自己催眠のテープを聞いてて
不意に母親が起こす声でビクッΣ(゚Д゚)となって
その瞬間にいわゆる金縛り状態になって
でもあ~なんか気持ちいいわ~ってなって
よーしいっちょやってやっか状態でセンター本番に臨み
もうめちゃくちゃいい点取れた、という
いい思い出がございます。
聞いてないですねそんな話。
とにかく、《今》というものだけが
確実なものなんだ、ということを
頭に置いといてください。
んで、それに対応するのが
過去や未来、なわけなんですが
この話は前にも書きました。
ちょっとおさらいしますと
「過去の自分も 未来の自分も 他人である」
でしたね。
これにちょっと補足しますと
まず未来は、もちろんどうなるか分からないです。
つまり、先ほどの考えからいうと
「確認」できない、ということ。
だから、無いのと一緒。
無いのに、一生懸命想像してるだけ。
だから、
ですよー。
あともう一つは過去。
過去は「かつて在ったもの」、と思うかもしれませんが
これは心理学でもよく言われていることですが
記憶ってけっこう当てになりませんよ。
「あの時はこうだった」と信じていたことが
実は違っていた、なんてことはざらなわけで
いわゆる「記憶のねつ造」は当たり前、と考えれば
過去も「確認」できません。
だから無いもの、と思ってね。
というわけで、だから
「あの時はこうだった、だからこれからこうなるだろう」とかかんけーなくて
余計な心配は今すぐシュレッダーにかけちゃって
《今》を味わおう、っちゅーわけですわ。
今日はこんなもんで。
言っとくけど
これまだ最初の5%くらいだからね。